事件解説

中国塗料著作権侵害疑惑事件



 この事件は、原氏が独自に企画開発した船舶情報管理システムの著作権を1部上場会社中国塗料が侵害して、原氏を追い出して勝手に使用し、内容を変更し続けているのではないかという疑惑の事件です。

 原氏は、大学卒業後、中国塗料に入社し、仕事に打ち込んでいましたが、社内の権力闘争に巻き込まれ、報復人事により、名目的なソフトウェア開発会社の社長として、本社から締め出されました。当時は、ソフトウェア・システムがあまり企業で普及していない時期で、ソフトウェア・システムの開発のノーハウは会社内に蓄積されておらず、原氏は一人しかいない会社の社長として、中国塗料から派遣された形式で、独自にオフコンベースの船舶情報管理システムを中国塗料のシステムとして、企画、開発し、度重なるバージョンアップにより、システムは中国塗料の業務の心臓部を担うものになっていきました。

 中国塗料の社内システムの企画、開発、運用に、創造的な意欲を感じるようになった原氏は、中国塗料から独立した立場になって、純粋に情報処理という観点から、この仕事を高度に発展させたいと希望するようになりました。原氏はその希望を具体化する方法を整理し、完全に独立した会社を原氏が起こし、その会社が原氏の開発したシステムに関する一切の業務を中国塗料が委託するという提案を、中国塗料の社長にもちかけました。これに対し、中国塗料の社長はその案を快諾し、話はこの提案にそって走り出しました。

 しかし、中国塗料の経営陣には、社内の重要なシステムが原氏の手によって開発管理されていることを容認できない考え方が、あったようです。提案に従って、独立の会社の準備をしていた原氏が、中国塗料に退職届を出すと、中国塗料の経営陣は態度を一変し、前言を翻して、原氏が開発してきたシステムはすべて中国塗料の所有物であり、原氏にはそれを管理させないと告げたということです。昭和13年生まれの原氏が55歳だった平成5年のことです。

 そこで原氏は、中国塗料を相手に訴訟を起こし、原氏の闘いは日経新聞でも紹介されました。そして、平成19年から、知的財産権の著作権確認訴訟を提訴し、一審の大阪地方裁判所では敗訴したので、平成20年7月に東京高裁の知的財産権高等裁判所に控訴しました。原氏は、中国塗料の外部の会社の社長として独自にシステムを開発していたのですが、著作権確認訴訟の一審から、相手方の中国塗料は、原氏の開発した船舶情報管理システムというシステムは、中国塗料内に存在しないと主張していました。

 これに対し、高裁の審理で中野裁判長が中国塗料側に対し、実際に中国塗料で使用しているシステムについて、もっと詳しく釈明するように要求し、こういうやり取りの中で口頭弁論が10回も続いて行われ、また、実際に使用されているシステムが原氏の制作したシステムを継承したものであるかどうかの、中国塗料社内での検証も行われました。

 そのような過程で、中国塗料で使用しているシステムが原氏の開発したシステムとは別のものであるという中国塗料の主張は誤りであることが確認され、原氏は裁判の勝訴を強く期待するに至ったわけです。

 ところが、判決が出される直前に裁判官が交代し、結果として言い渡された判決では、中国塗料で使用しているシステムは原氏が制作したものを改良したものだが、これは「業務著作」であるので、著作権は中国塗料にあるというもので、原氏の主張は退けられました。

 しかし、業務著作であるためには、中国塗料から原氏への業務命令がなければならないのですが、独立した会社を一人で切り回していた原氏にはそのような命令はなく、中国塗料も裁判において一貫して、業務著作であるという主張はしていなかったのです。つまり、訴訟の中では誰も業務著作であると主張しなかったのに、判決になって、突然、裁判官がそういう認識を書いたというものです。そこで原氏は、このようなでたらめな審理を行った高裁の裁判官の責任を問い、裁判官に対して損害賠償を請求しています。

[前の事件][次の事件]