事件解説

千葉興銀違法融資疑惑事件(文責:裁判ウォッチャー)




事件の発端

 千葉興銀違法融資疑惑事件は、千葉興業銀行が違法な迂回融資を倒産寸前の不動産業者「日本橋建設」に対してもちかけ、日本橋建設が倒産した後に、名目的な融資先だった「日本橋設計工務」に対する融資の未回収額を第三者の無関係な女性から「回収」した事件です。

 そもそも、銀行が融資を行っていない相手から、別人に対する回収不能債権を取り立てるというような非常識な行為が、なにゆえに可能だったのでしょうか。

 話はバブル景気の1988年(昭和63年)にさかのぼります。一人娘の咲子さんに形のある財産を残してあげたいと思って、適当な土地の購入を望んでいた山野保枝さんに、不動産業者である「日本橋建設」という会社が土地を紹介しました。山野さんはその物件が気に入り、1988年(昭和63年)11月7日に、日本橋建設に代金の5,500万円を支払い、日本橋建設との間で土地の売買契約を締結しました。この時点で山野さんは土地の所有者になりました。ところが、通常の不動産業者であれば、取引の完成と同時に土地の権利書の引渡し、所有権移転登記等の法的な措置をとるものですが、日本橋建設はこれを行いませんでした。山野さんが催促しても、いろいろと理由をつけて、これらの処理を実施せず、不動産の法律や取引慣行に詳しくなかった山野さんにはどうすることもできませんでした。そうこうしているうちに、「日本橋建設」が倒産します。その後、千葉興業銀行の担当者が土地の実際の所有者である山野さんを訪れ、山野さんの所有する土地には、千葉興業銀行の日本橋建設に対する抵当権が設定されていて、千葉興業銀行には日本橋建設に対する回収できなかった貸付金が1300万円残っているが、この金額を山野さんが千葉興業銀行に支払わない場合には、土地を競売して未回収債権を回収すると告げました。山野さんは仕方なく、千葉興業銀行に対して、日本橋建設の債務1300万円に利息分と称する100万円を上乗せして、1400万円を千葉興業銀行に支払い、ようやく土地を自分のものにすることができました。

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日本橋建設は自分のものでない土地を山野さんに売っていた

 登記簿を見ると、山野さんが購入した土地は、1987年(昭和62年)10月15日に、株式会社三高という会社から、日本橋建設に所有権が移転されていました。日本橋建設が株式会社三高から購入したという形式になっています、ところが、1988年(昭和63年)6月13日には、日本橋建設から株式会社トーショーという会社に、売買を原因として所有権移転登記がなされていました。つまり、山野さんが日本橋建設から購入したはずの土地の登記簿上の所有者は日本橋建設ではなく、株式会社トーショーだったのです。日本橋建設は自分のものでない土地を山野さんに売って代金を受け取ったということになりますが、詐欺行為の疑いが濃厚だといえるでしょう。

日付 土地に関する事件
西暦 元号
1987/10/15 S62.10.15  株式会社三高から日本橋建設へ所有権移転登記(売買)
1988/6/13 S63.6.13  日本橋建設から株式会社トーショーへ所有権移転登記(売買)
1988/11/7 S63.11.7  山野保枝さんが日本橋建設に5,500万円を支払い、買い受ける。しかし、日本橋建設は所有権移転登記を行わない。
1989/2/1 H1.2.1  千葉興銀稲毛支店で融資を断られた日本橋建設社長蓮沼正紀氏が、千葉興銀本店に融資を申し込む。
1989/2/15 H1.2.15  千葉興銀の担保物権の調査報告書がある。
1989/2/17 H1.2.17  千葉興銀から日本橋設計工務への融資4000万円
1989/2/23 H1.2.23  前年6月13日の日本橋建設から株式会社トーショーへ所有権移転登記が、錯誤だったとして、登記を取り消し、日本橋建設に所有者の名義を戻す
1989/2/23 H1.2.23 さらに、日本橋建設から日本橋設計工務へ所有権移転登記(売買)
1989/2/23 H1.2.23 日本橋設計工務が、同物件に極度額5000万円の根抵当権設定契約証書を差し入れる
1989/2/27 H1.2.27 千葉興銀の抵当権設定の登記
1989/4/18 H1.4.18 日本橋設計工務から山野咲子さんに所有権移転登記(売買)

 しかし、当時は土地コロガシで土地の価格を吊り上げていたバブルの時代ですから、不動産業者間の土地の所有権の移転は、どうにでもなるものだったのかもしれません。つまり、日本橋建設が株式会社トーショーとの間で話をつけて、どういう形であれ、所有権名義を山野さんに移転しさえすれば、それで済んだ話だったのかもしれません。しかし、日本橋建設は当然の義務を果たさず、また、その事情について山野さんにまったく説明しませんでした。

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迂回融資によって、他人の土地に抵当権を設定する

 日本橋建設は、1989年(平成元年)2月1日、千葉興銀本店に融資を申し込みました。そして、山野さんに売った土地を借り入れの担保として提供しました。このとき、千葉興銀で作成された「担保不動産調」という文書が残っています。この文書の記載を見ると、千葉興銀の融資担当者は、この土地の所有名義が日本橋建設ではなく、株式会社トーショーであったことを認識していたにもかかわらず、その点は特に問題にせず、担保価値だけを評価したようです。そして、担保価値が十分であると判断した千葉興銀は、日本橋建設に4,000万円の融資を行うことを決定しました。このとき千葉興銀の融資担当者は、日本橋建設がその融資の直前に既に別の融資を受けていて、短期間に融資を二度行うことはできないので、融資の相手先を日本橋建設ではなく、別の会社にする必要があると言いました。そこで、日本橋建設の社長だった蓮沼正紀氏が、同じく社長をしている「日本橋設計工務」という別の会社への融資という形式にして、話をまとめることにしました。日本橋設計工務という会社は、日本橋建設の支配下にある会社だったと思われます。

 実際には日本橋建設が借り入れをしたいのに、名義的に別の会社に融資を行い、それが実質的に日本橋建設に対するものであるというような融資は、「迂回融資」とよばれ、銀行業では禁止されているものです。千葉興業銀行は、日本橋建設に対し、禁止されている「迂回融資」を教唆して、追加融資を行ったということになります。こうして、日本橋建設は、山野さんの所有している土地の所有権移転登記を遅らせ、その土地を担保として千葉興銀から借り入れを受けるという、非常に悪質な詐欺行為を行いました。

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抵当権を設定してから本当の持ち主に移転登記

 日本橋建設は、融資の話が決まった後の、1989年(平成元年)2月23日に、早速、登記手続きを行いました。まず、株式会社トーショーの名義だった土地の名義を、日本橋建設の名義に戻しました。このときの理由は、前年6月13日の日本橋建設からトーショーへの売買による所有権移転登記が錯誤だったということで、これを取り消すというものでした。さらに、土地を売却したという理由で、所有権を日本橋建設から日本橋設計工務へ移しました。日本橋設計工務は千葉興銀から、この土地を担保にして借り入れを行う形式的な主体だからです。このような、短期間の不自然な移転登記が、なぜ簡単に行えるか、不思議なのですが、日本の登記所、法務局は形式的な書類さえそろっていれば、内容が虚偽であろうと不自然であろうと、申請を受理して処理を進めてしまうのです。虚偽の登記によって、犯罪が行われたときに、法務局が責任を問われないという制度には問題があるのかもしれません。

 このようにして、日本橋設計工務の名義になった土地に対し、千葉興銀は極度額5,000万円の根抵当権を設定し、この土地を担保にとって、日本橋設計工務に対して4,000万円を貸し付けました。こうして、多額の抵当権を設定してから、1989年(平成元年)4月18日に、土地の所有権が、日本橋設計工務から山野咲子さんに移転登記されました。人を馬鹿にした悪質な手口であるとしか言いようがありません。

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千葉興銀の立場

 他人の土地を担保にして多額の借金をして、そのつけを山野さんに押し付けた日本橋建設の行為が、許すことのできない反社会的な犯罪行為であることは、言うまでもないことです。では、抵当権が設定されているからといって、日本橋建設に請求しなければならなかった回収不能債権を、山野さんという無関係な人に支払わせた千葉興銀の行為は、どういう風に評価されるものなのでしょうか。これも銀行業の道義をまったく欠く、不法で不名誉な行為であるというしかありません。そこで、その行為がどういうものであったのかを、単純化して考えて見ます。

 どこかに不動産があり、その所有者はAさんという人だとします。また、借金をしたいと思っているBさんという人がいて、Cさんというお金を持っている人がいるとします。BさんはCさんのお金を貸してもらいたいのですが、CさんはBさんが借金を踏み倒すのではないかと心配しています。そこで、Bさんは、Aさんの所有する不動産をCさんに示し、これは私の不動産だから、もし私が借金を返せなくなったら、この不動産を処分してCさんに返済する。踏み倒しの心配はないからお金を貸してくれと申し出て、Cさんはそれならば安心だということで、Bさんにお金を貸したとしましょう。しかし、案の定、Bさんは借金を返すことができなくなり、破産しました。

 この場合、CさんはAさんの所に行って、あなたの所有する不動産をカタにしてBさんにお金を貸したのだが、Bさんが返済できなくなってしまった。だから、Aさんが代わりに返済してくれなければ、不動産を処分して未回収債権を回収しますと言って、話が通るでしょうか。もちろん、こんな話が通るはずはありません。CさんがBさんに融資をしたというのは、Aさんとはまったく無関係なことであり、Aさんにはこの融資の返済を肩代わりする責任はまったくないことは明らかです。ここで、Aさんは山野さん、Bさんは日本橋建設あるいは日本橋設計工務、そしてCさんが千葉興銀に当たるといえるでしょう。

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登記というからくり

 ところが、不動産取引には常に登記というものが重要な要因として割り込んできます。多くの人はご存知でしょうが、問題を解きほぐすために、ここで再確認のために、解説しておきます。不動産登記とは、不動産に関する権利関係を公的に登録することで、不動産に対して利害関係をもつ人が自己申告で情報を提供(申請)します。情報は、国家機関である役所(以後は登記所と書きます)が受け入れ、これを記録した登記簿を維持・管理しています。登記簿というのは、不動産に関する権利関係を記録した、今風の言い方をすればデータベースであるといえます。不動産登記の内容は、登記所に行けば誰でも閲覧、複写できるようになっています。

 登記簿には、どこそこの不動産(土地、建物など)の所有者がだれそれであるとか、何月何日に誰それから誰それに所有権が移転したとか、あるいはどこそこの不動産には、誰それの抵当権がいくら設定されているというような事項が記述してあります。不動産取引を行う人は、登記簿によって、その不動産に関する情報を確認することができるわけです。

 ところで、不動産登記簿に記述されているということは、その内容が真実であることということを意味しているわけではありません。たとえば、AさんがBさんに代金を支払い、不動産を購入して、何らかの理由で所有権移転の登記を行わなかった場合には、その不動産の登記上の所有者はBさんになっていますが、実際の所有者はAさんであるということになります。AさんがBさんから不動産を購入したとしても、登記所は所有権移転登記を行うよう、Aさんに強制することはありません。また、逆に、Bさんの所有する土地について、Aさんがこれを購入していないのに、購入したと偽り、うまくBさんをだまして委任状に印鑑を押させたり、あるいは印鑑を偽造して書類を調え、登記所に行って所有権移転登記を行い、これが登記所で認められれば、登記簿上の所有者はAさんになります。

 では、真実であることを保証していない登記簿の情報が何の役に立つのかという疑問が当然のように湧くでしょう。不動産登記簿の重要な機能は、登記簿の内容が真実であると信じた人が、その登記事項を前提にして行った不動産に関する取引は、不動産登記簿の記載事項の真偽に関わらず、有効なものとして保護されるという規定にあります。つまり、前述の例で言えば、AさんがBさんに代金を支払い、不動産を購入した後に、何らかの理由で所有権の移転登記を行わずに放置していたとします。その後、Cさんという別の人が登記簿の内容を見て、名目上の所有者であるBさんにその不動産の購入を申し込み、Bさんが錯誤であれ故意であれ、Cさんから代金を受け取って、不動産の売買契約を交わしたとします。この場合、Aさんの権利が侵害されることになりますが、Cさんは登記簿という公的なデータベースを信頼してBさんから不動産を購入したのであるから、Bさんからの購入取引は保護される、つまり、AさんはCさんに対して、この不動産の本当の持ち主は私なのだから、不動産を返してくれといっても、返してもらえないということになります。この規定は非常に強力で、たとえば、BさんがAさんをだまして、委任状を書かせ、Aさんの不動産をBさんが買ったという虚偽の登記を申請し、登記所がそれを受理して、登記簿が書き換えられた場合でも、Cさんがその登記簿の内容を信用してBさんから物件を購入した場合には、AさんはCさんに、物件の返還を求めることができないとされています。

 この規定は、登記簿を操作すれば簡単に他人の財産を乗っ取ることができるという手口につながるので、手形のパクリ、連帯保証人とともに、詐欺行為の古典的な手法として、これまで何度も利用されてきたようです。

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千葉興銀の抵当権は登記簿の記載によって保護されるものではない

 さて、このことを踏まえて、山野さんと千葉興銀の関係をもう一度見直します。まず、山野さんが問題の土地の所有者になったのは、いつの時点であるかを再確認したいと思います。1989年(平成元年)4月18日には、日本橋設計工務の債務の抵当権という、ありがたいおみやげをつけて、登記上の所有権が日本橋設計工務から山野咲子さんに移転していますが、山野さんが実際に土地の所有者になったのは、1988年(昭和63年)11月7日に、山野保枝さんが日本橋建設に代金5,500万円を支払った時点であるといえます。これには、少々の解釈が必要です。山野さんが代金を支払ったこの日、その不動産の登記簿上の所有者は日本橋建設ではなく、株式会社トーショーでした。そこで、この登記事項が真実で、土地が株式会社トーショーの所有物であったとすれば、日本橋建設がこの土地を山野さんに売却する取引自体が成り立たなくなります。日本橋建設は虚偽の所有権を騙り山野さんをだましたのであり、代金を返済し、損害を賠償して、この売買取引を取り消さなければならなくなります。

 しかし、日本橋建設は1989年(平成元年)2月23日に、前年の6月に行った売買による所有権の移転の登記が錯誤によるものであったとして、この登記を取り消し、所有権を日本橋建設に戻しています。錯誤で所有権を移転したというのも、普通では考えられない怪しげな話ですが、その登記申請は登記所によって受け入れられているので、そのシナリオに沿って考えるしかありません。正確な知識を持たない人は、登記簿の記載を真実とみなすしかないのです。そうすると、日本橋建設が株式会社トーショーに所有権を移した1988年(昭和63年)6月13日から、名目的には所有権は株式会社トーショーにありましたが、真実の所有者は日本橋建設だったということになります。山野保枝さんは、1988年(昭和63年)11月7日に、真実の所有者である日本橋建設に代金を支払い、正式に売買契約を締結したのですから、その時点でその土地の所有者になったといえます。また、その後、登記簿上の所有者である株式会社トーショーと交渉して、土地に関する権利関係を変更した第三者もいないので、山野さんの所有権は、一貫して他の事情の影響を受けることなく、継続していたといえます。

 千葉興業銀行は実際には山野さんの所有地である土地に、日本橋建設工務への融資の抵当権を設定しました。このとき、千葉興銀がその土地の実際の所有者が山野さんであることを知っていたのかどうかが問題です。もし、知っていてそのようなことをしたとすれば、千葉興銀は日本橋建設が犯した詐欺行為の共犯者ということになります。もちろん、真偽のほどはどうあれ、千葉興銀が、知っていてそのようなことをしましたなどと言うはずもありません。そして、事実を知っていたのかどうかということは、確認するのが不可能なほどに難しいことです。真相は闇の中ということになる可能性が高いと思います。

 そこで、千葉興銀が土地の実際の所有者が誰であるかを知らず、日本橋建設であると信じて、その土地に融資の抵当権を設定したと仮定します。この場合にも、その抵当権は錯誤によって設定されたものであり、山野さんには日本橋建設が負った債務を肩代わりするいわれはまったくありません。では、千葉興銀の抵当権設定は、登記事項によって保護されるのでしょうか。もし、当時、土地の登記簿上の所有者が日本橋建設になっていたとすれば、あるいは千葉興銀の行為は登記事実によって保護されるのかもしれません。登記簿の記載を信じて行った行為であると主張できるからです。しかし、実際には、その時点での登記簿上の所有者は日本橋建設でも、日本橋設計工務でもない、株式会社トーショーという別の会社でした。とするのならば、千葉興銀が、土地の所有者が日本橋建設であると信じたのは、日本橋建設の主張を信じただけのことであり、公的な登記簿を見たからという言い訳は通用しないと思います。千葉興銀は、日本橋建設の虚偽の主張をよく調べもせずに「信用」し、実際には存在しない抵当物を存在すると思って、融資を行ったに過ぎません。その融資の残債を山野さんに回すなどというのは、銀行業のいろはを知らない筋違いなこととしかいえないでしょう。

 土地に対する抵当権の設定は、最大限、善意に解釈しても、千葉興銀が錯誤によって、行ったことです。登記されているとはいえ、それは虚偽の事項の登記ということになります。その登記を千葉興銀が信じたから、山野さんに残債を請求できるなどという理屈はまったく成り立ちません。その誤った登記は、千葉興銀が自身で行ったものであり、誤りであると気づいたときに自主的に訂正すべき性質のものです。

 ところが、実際には千葉興銀の担当者は、抵当権が登記されているのだから、自分らには日本橋建設の残債を山野さんに請求する権利があるのだ、残債を清算しなければ、土地を競売にかけると脅したということです。このような脅しに混乱して、支払う必要のない金銭を山野さんが支払ったとしても、そもそも支払ったことが誤りであったのですから、その金額が山野さんに返還されなければならないことは、言うまでもないことでしょう。

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役に立たない裁判所

 山野さんが、誤って支払ってしまった1,400万円を千葉興銀に返還するよう求めたのは、まったく正当で、当然のことです。千葉興業銀行に少しでもまともに物事を判断することができる責任者がいたら、千葉興銀は自らの名誉を守るために、錯誤の訂正を行ったでしょう。しかし、実際には、千葉興銀には自行の帳尻があいさえすれば、どのような金銭でも構わないという品格の行員しかいなかったようで、山野さんは誤って支払った金銭を返還してもらえませんでした。そこで、争いは裁判所に持ち込まれたわけです。

 ところが、日本の裁判所というものは、この種の犯罪の被害者の救済という点では、まったく役に立たないようにできています。

 訴訟で山野さんは、千葉興業銀行の追加融資の意思決定がどのようにして行われたのか、千葉興業銀行が移転登記などの行為にどのように関与していたのかを明らかのすることを求め、担当していた裁判官も山野さんの主張を支持し、千葉興業銀行に(迂回)融資が行われたときの「融資申込書」などの書類を証拠として提出するよう指示しました。ところが、証拠が提出される前に、その裁判官は、とつぜん交替になり、別の裁判官が事件を引き継ぐことになります。新しく選任された裁判官は、前任の裁判官の指示を否定し、千葉興業銀行は証拠物を提出する必要がないということになりました。これも不思議な話ですが、千葉興業銀行やその他の有力者が裏から手を回して、事実関係を確認しようとしていた裁判官を解任し、真相を闇に葬ったのではないかと疑いたくなるようなことです。こうして、山野さんの訴えは、事実の確認を十分に行わないままに、判決によって退けられてしまいました。

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ならずものの論理で行動する日本の司法機関

 山野さんは、このような裁判や判決では納得できなかったので、切り口を変えて、訴訟を継続してきました。山野さんによると、その後山野さんの自宅に何ものかが侵入して、重要な証拠書類を盗み出すような事件が多発するようになったということです。一般の常識ではにわかに信じがたいことですが、まったく別の事件でも、同じような事態が起こっているという有力な情報もあります。

 山野さんはこのような不合理な事態について、千葉県で行政の不正などを監視している「公共問題市民調査委員会」に相談しました。そこで、同委員会の橋本和憲氏が調査を開始し、この事件の裏には千葉興業銀行の不正な行為があるとの確証を得たので、山野さんの千葉興業銀行との交渉を支援することになりました。その、調査活動、交渉活動、宣伝活動の最中に、山野さん、橋本氏、及び応援に駆けつけていた大高正二氏が身柄を拘束され、千葉興業銀行が申し立てた名誉毀損の罪により、起訴されるという事態にまで発展しました。

 この司法機関の行為は一体、何なのか、首を傾げざるを得ません。これまで述べてきた状況を考慮するとき、およそ名誉などという言葉は千葉興業銀行という銀行には似つかわしくないものだと感じます。私は、「名誉毀損」事件の第一回公判で大高正二氏が陳述した言葉を思い起こします。大高氏は、次のように発言しました。

 この裁判は告訴人の千葉興行銀行が名誉毀損を主張出来るか否かの裁判です。名誉とは何かを考えて下さい。名誉という言葉の意味を考えて下さい。私は千葉興銀の名誉を毀損して居りません。株式会社千葉興業銀行が自らの名誉を毀損させたのです。


 千葉興銀は信用を失った事と名誉を毀損された事を取り違えています。


 名誉とは社会に貢献した者が受ける勲章です。罪を犯し、その償いもせず、社会に多大な迷惑を掛け続ける千葉興銀に名誉はありません。

私は、彼の主張にまったく同感します。千葉興銀は、名誉などと柄にもないことを言わず、むしろ

 名誉や道義など、腹の足しにもならん。俺たちはどんな方法であろうとも、自分たちの利益を追求するのだ。金をもうけて何が悪い。

というように開き直ってもらいたいものです。そうすれば、私も千葉興銀の気持ちを少しは理解でき、ことによれば共感できるかもしれません。

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