【2011年7月10日ニュース】810転び公妨事件の第五回公判が開かれる



公判開始までの儀式

 2011年7月8日午後1時に、8月10日の転び公妨事件の第五回公判の傍聴券の抽選が行われ、32席の傍聴席に対して、36人の傍聴希望者がありました。当選率は高かったのですが、無駄に空けてある「記者席」の5席を考慮すると、実際には抽選の必要はなかったのであり、これに対する裁判長の判断には、大きな疑問が感じられます。

 429号法廷では、お定まりの手荷物の預かりと金属探知機によるボディーチェックの後に、法廷の前に傍聴希望者を並ばせてから、法廷のドアが開き、傍聴人の入場になりました。傍聴人が着席してから、裁判長が恒例のようになった、傍聴人に対する「注意」を述べ、公判が始まりました。

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公判資料の公開予定

 当日の公判は、裁判所職員の清水氏と、中山氏の証人尋問で、詳細については証人尋問調書が入手されたときに、本ウェブサイトで公開する予定です。また、最近、傍聴記録として、大変優れた記事が他のウェブサイトなどを通して配信されることがあるので、そのような記事が入手できた場合には、多元的で総合的な情報を多くの人が入手され、事件の本質に迫る材料に少しでも多くの人々が接することができるようにという意図により、本ウェブサイトでも公開したいと思います。

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証人の身分

 この日証言した清水氏と中山氏は、ともに東京高等裁判所の職員で、それぞれ、2011年の3月31日まで、裁判所のある部署にいて、その後配置転換になったということです。高等裁判所の部署について筆者は詳しくなく、また興味もないので、その意味を追求する意欲も湧きませんが、大高さんが裁判所に対する批判の活動を行っている数年前から、裁判所側の人間として、大高さんの行動に対処する担当者であったようです。清水氏が管理者・意思決定者で中山氏は実行部隊といったところでしょうか。最終的な責任者は高裁事務局長であるとのことです。

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庁舎管理権の根拠と範囲に関する証人の見解

 平成21年(2009年)2月27日に、大高氏が高等裁判所庁舎に入ろうとしたときに、大高氏はカメラつき携帯電話を所持して入庁することを許さない、携帯電話を預けるか、外のどこかの場所にしまってから、入庁するようにと言われ、実際にそのような措置を強制されました。これが、8月10日の転び公妨事件の原因となるのですが、そのような措置の根拠は何かという問いに対して、清水氏は「庁舎管理規程」であると述べました。この規程の根拠は何かという問いに対して、清水氏は憲法で定められた最高裁判所規則の制定権にその根拠があると述べたように記憶しております(清水氏の証言はマイクを通しても、ささやくような小声で、あまりよく聞き取れませんでした)。また、最高裁判所規則は官報で公表されるという手続きを経なければ制定できないが、規程については公開されずに自由に制定できるものであると答えました。このような性格の「規程」というものに、裁判所庁舎における傍聴人など一般の入庁者の行動を規制する強制力がどの程度存在するかについては、議論の分かれるところですが、この規程によれば、高等裁判所庁舎の管理権限者は高等事務局長であり、権限を委任された清水氏が、大高氏への「処分」を決定したということです。

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庁舎管理権の目的、利益に関する詭弁的な誘導

 この庁舎管理規程は何を守ろうとしているのかについて、清水氏は裁判所の職員が正常に業務を行えるようにするためのものであると答えましたが、質問していた女性の検事が、答えを誘導するように、これは結局、裁判所にくる一般の利用者の安全を守るためのものですねと、やや強引な詭弁を押し付け、清水氏はその誘導に乗って、一般利用者の利益を図るものであると言い換えました。これは、かなり飛躍のある言いかえで、この言いかえについてはかなりたってから、裁判長が庁舎管理権には、庁舎の職員あるいはその業務を守るという役割もあるのだと付け加えています。

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庁舎管理規程や管理権に関する証人の理解に関する疑問

 最高裁判所に最高裁判所規則の制定権が認められ、司法行政権が与えられているのは、戦後のGHQが指導した司法制度改革により、司法の制度的な独立が図られたことの結果です。庁舎管理規程の由来に関する学説には、所有権の現れとする説や、公法上の物件的支配権とする説などがあるようですが(1)、清水氏や第三回公判で証言した裁判所の職員は、この権限は、庁舎が国有財産であるという性質に由来するものであると述べておりますので、庁舎の職員あるいは庁舎の管理部門は所有権説に立っているといえるでしょう。所有権から庁舎管理権を論じている永井敏雄氏の『庁舎管理権と裁判所』では、「庁舎管理権を裁判所に特有の事務ではなく、行政庁一般に共通した問題である」(2)と定義しているのですから、庁舎管理規程を司法に特有な最高裁判所規則のひとつとする理解には、無理があると思えます。

 また、清水氏や中山氏の庁舎管理権の権限理解には、庁舎管理規程に関する拡大解釈を強く感じさせるところがあります。たとえば、大高氏に対するカメラつき携帯電話の持ち込み禁止措置は、2009年2月24日に大高氏が裁判所庁舎内を撮影したことに対するものであると説明しながら、その措置を書面で大高氏に通知しているわけでもなく、期限を定めているわけでもなく(実質的には半永久的な措置であり)、また、何ゆえにカメラつき携帯電話を所持していることが問題なのかについては、「写真を撮られた人のプライバシーが犯される可能性がある」などと、ほとんど空想的な作文のような答えをしておきながら、一時的に大高氏が携帯電話を操作していた(マナーモードにしていた)としても、その携帯電話を連れの友人に預ければ問題はないのではないかという問いに対し、「それでは認められない」と答えております。これらの問答から強く浮かび上がる事実は、彼ら職員がカメラつき携帯電話を所持していることを口実に、大高氏を規制している真の理由と目的は、カメラつき携帯電話を所持していることによる弊害を防止することではなく、大高氏に裁判所の職員に無条件に服従するということを認めさせ、そのような態度を強制することであるということです。

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裁判所における「秩序維持」の憂うべき実態

 これらの証言が明らかにしているように、裁判所における傍聴の規制や庁舎管理権については、最高裁判所の司法行政の外側の視点によるチェックが完全に喪失したまま、勝手に制定され、解釈されて実施されているのが実状で、担当する裁判所職員の教育もまともに行われておらず、実に問題の多い状況であるといわざるを得ません。たとえば、証言した中山氏は、弁護士にカメラつき携帯電話の庁舎内への持込を禁止する根拠は何かと聞かれ、庁舎管理規程だと答えました。そこで弁護士が、実際の庁舎管理規程の12条8号の条文を示し、「裁判所の禁止に反し、写真機、録音機その他これに類する物を持ち込み云々」とあるが、この条文によれば「裁判所の禁止に反し」という条件が付されているのだから、カメラの持ち込み禁止は一般的な禁止ではないのではないかと問うたのに対し、この条文がカメラの持込を禁止しているのだと強弁しています。確かに、この条文はあいまいで、いろいろな解釈が可能ですが、それらについての公的な議論や説明がないままに、警備の担当者が自由に解釈を任されていると言うのでは、規程を権限の根拠とする主張はほとんど説得力を欠くものになるでしょう。このような担当者の説明では、大高氏でなくとも納得がいくはずもないと思いますが、中山氏は大高氏以外の来庁者はすべてこのような措置に納得しているなどと、勝手な解釈を述べています。実際に、庁舎管理規程は違憲の疑いがあり、違法であると指摘している法学者もいます(3)

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杉田氏の「負傷」に関する信頼性の薄い証言

 証言のもうひとつの焦点は、大高氏が杉田守衛長に暴行を行ったかどうかについてであり、清水氏、中山氏は異口同音に、事件の直後に、杉田氏の後頭部に、目で見て確認できる赤いコブがあったのを見たと証言しました。この証言は、第二回公判で杉田氏の診断書を書いた武藤医師が、診察時に触診でも、X線検査、CTスキャンでも、異常が認められなかったと証言し、第三回公判では杉田氏が、事件直後にはコブがあったが、診察のときまでに消えていたと証言したことに辻褄を合わせるものです。神ならぬ筆者に絶対的な真偽は判断できませんが、全体に、検察側の証人の証言は、不自然で、合理的な疑問点が多いといえるでしょう。たとえば、清水、中山の両氏は、事件の後に、警察署で取調べを受けており、そのときの供述では杉田氏のコブのことは、まったく述べていなかったことが弁護士の尋問で明らかになっています。これに対し、両氏は聞かれなかったから言わなかったのだと言い訳していますが、傷害罪の事実の根拠である杉田氏の「負傷」の状況について、当初の取調べではまったく語らず、武藤医師の証言と杉田氏の証言の後に、口裏を合わせるように、このような証言をしているのですから、その証言の信頼性に疑問を持つのは、筆者だけではないでしょう。

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弁護側の要求する検証に対する根拠のない拒絶

 このように、疑問点の多い両氏の証言が終わり、裁判長は今後の公判の日程について、被告側と検事側に相談しました。検事側はこれで十分な立証を完成させたという立場のようであり、弁護側は「検証」を請求しました。これは、130センチメートルの高さで、大高氏の肩まで達する厚い門扉を隔てて、大高氏が杉田氏に暴行を加えて、後頭部にコブを負わせることが可能であったのかということを実験によって科学的に検査することの要求のようですが、これに対し検事側は必要がないという意見を表明しました。その理由は、この事件の真実に関しては、すでに取り調べ段階で検察側が行った検証で明白になっているから不要だというものです。この理由付けは大いに問題があるといわざるを得ません。

 最近、検察の取調べに関しては可視化が求められておりますが、今回の事件については、刑事訴訟法の規定を口実にして、取調べに関する資料の入手が不可能になっています。本ウェブサイトでも、公判調書など一部の資料は入手できるのですが、ここで検事が語った、取り調べ段階での「完全な」検証を示す資料は入手できず、公判で弁護士が言及している清水氏らの丸の内警察署における供述調書も、入手は困難なようです。そのようなブラックボックスの「立証」過程が完全であると主張し、現に公判の審理の中で浮かび上がってきた疑問点についても、非公開の捜査資料で「明らかになっている」と主張するのならば、そもそも公開で行われる裁判は不要になるでしょう。

 このような当然の疑問にもかかわらず、裁判長は弁護側の検証の要求を拒否し、次回の公判で、検事の論告と弁護士の最終弁論を行うと決定し、期日を9月16日午後1時半、429号法廷としました。

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まとめ

 この日の公判で、「8月10日の転び公妨事件」の審理は実質的に終了し、この材料を基にして判決が書かれることになります。そこで、重要なのは、この裁判では、検事の取調べに関する資料が公開されていないということです。判決を書く裁判官の心証においては、この資料が重要な影響を持つことになるのでしょうから、判決が導かれる過程の公開は決定的に不完全であるといえるでしょう。

 この事件は、大高氏の傷害の事実の有無に矮小化されるべきものではなく、裁判所の裁判公開に関する姿勢が問われるものであるといえますが、公判で与えられている材料から、大高氏の傷害行為の結論を導こうとしても、検察側の立証には不自然な点、矛盾が数多く見られ、合理的な疑問が存在することを否定することはできません。「事件現場」は、裁判所側の職員だけが大高氏を取り囲んでいた特殊な造られた環境下にあり、検事側の証人の証言には矛盾があり、口裏を合わせたとしか思えない印象を打ち消せず、また彼らには口裏を合わせて証言で特定の事実を造成しようとする強い動機があります。検察側の犯罪立証に合理的な疑問がある場合には、どのような判決を書かなければならないのか、近代法の基本原則は裁判所に理解されているのでしょうか。はなはだ心細いといわざるを得ません。高知白バイ事件の記憶の生々しい実例のように、警察側の証言はすべて無条件に信頼でき、それ以外の検証はすべて無であるというのが裁判所の性向であるとするのならば、どんなに甘い試験官でも落第点をつけるしかない検察側の立証にも、合格印が押され、有罪の判定になるでしょう。私たちは、この事件の法廷の前で、歴史に付け加えられるもうひとつの冤罪事件を現在進行形で目撃しているのかもしれません。

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(1)小田中聡樹『裁判の公開と法廷秩序』、「法律時報53巻3号」、59ページ、1981年

(2)永井敏雄『庁舎管理権と裁判所』、「警察学論集1979年9月号」、

(3)小田中聡樹は、「裁判所長が・・・はちまき等の着用者の入構を禁止するのは違法」であり(前掲論文59ページ)また、庁舎管理規程12条10号には「憲法違反の疑い」があると指摘している(『裁判と国民』、「法律時報52巻10号」、1980年、12ページ。

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